2011.05.15
おばあちゃん
先日、おばあちゃんが亡くなりました。
ずっと家族で介護してきたおばあちゃん。
もう少し寿命があると思っていたのに、本当に残念でした。

初孫である私が生まれるほんの少し前におじいちゃんが突然亡くなって、
それから28年間、連れ合いも無く寂しい人生だったかと思います。
もともと9人兄弟の一番上だったおばあちゃん。
戦争を経験して、小さい兄弟の世話をして、両親のお豆腐屋を継いで、おじいちゃんをお婿にもらいました。
父と叔母が産まれて、母が嫁いできて、共働きの両親に代わって、私と妹二人の世話をしてくれました。
ずいぶん認知症がひどくて、家族のこともわからなくなったり、家中汚物だらけにしてしまうときもありました。
寝たきりになってからは、父と母と私と3人で必死に介護してきました。
ときには主人も手伝ってもらいました。
主人はもともとおばあちゃん子だったので、私がとんちんかんなおばあちゃんにイライラしていると、
「おばあちゃんに優しくしてあげて」と言われて、はっとしたこともありました。
3月の東日本大震災後に、心配停止で救急車で運ばれて、もうだめかと思ったら、
びっくりするくらいの回復力で、1ヶ月で退院することが出来ました。
ゴールデンウィークには、叔母や兄弟達も顔を見に来てくれて、
「こんなに食べれるなら、まだまだ頑張れるね〜」
なんて、みんなで言っていたのに。
それから1週間で天国へ行ってしまいました。
お葬式はおばあちゃん本人が望んでいたとおり、親族だけで執り行いました。
私と妹で、お化粧してあげると今にも目を開けそうないい顔をしてました。
普段お化粧をしない人だったから、ちょっとケバくなっちゃったけど・・・
お通夜は、葬儀屋さんにそのまま宿泊できたので、兄弟達は4時までお線香を絶やさず、お酒を飲んで思い出話をしていたようです。
アルバムから古い写真をスキャンして、おばあちゃんの周りにたくさん入れてあげました。
兄弟の写真、私たちの小さかったころの写真、かわいがっていた犬の写真、出席できなかった私の結婚式の写真・・・
両親と私と妹と主人とで、手紙も書きました。
みんなのメッセージを見ると、寂しい思い出ばかりだったかと思っていたおばあちゃんの人生が、
家族の愛情に彩られて、すばらしい人生だったとわかりました。
いまや、核家族化がすすんで、高齢者をみる家族がいない、いてもみてあげられないケースが多い中、
施設に預けこともなく、家族の力と介護サービスの力で、
病院や施設ではなく、いつもおばあちゃんがいた部屋で看取ってあげられたこと、本当に感謝してます。
そして、肩の荷が下りたにもかかわらず、
まだ「おばあちゃんのオムツを替えなくちゃ、ご飯をあげなくちゃ、って思っちゃうの」
って寂しい顔をする両親を、心から尊敬します。
何より、介護は“女の仕事”と決め付けずに、母よりも頑張っていた父。
父がおばあちゃんのことに無関心だったら、きっとこうはいきませんでした。
久しぶりに見た、父の涙。
これから残された家族で頑張って生きていかなければ。
私にいつか子どもが生まれたら、その子を守ってね。
ね、おばあちゃん。
ずっと家族で介護してきたおばあちゃん。
もう少し寿命があると思っていたのに、本当に残念でした。

初孫である私が生まれるほんの少し前におじいちゃんが突然亡くなって、
それから28年間、連れ合いも無く寂しい人生だったかと思います。
もともと9人兄弟の一番上だったおばあちゃん。
戦争を経験して、小さい兄弟の世話をして、両親のお豆腐屋を継いで、おじいちゃんをお婿にもらいました。
父と叔母が産まれて、母が嫁いできて、共働きの両親に代わって、私と妹二人の世話をしてくれました。
ずいぶん認知症がひどくて、家族のこともわからなくなったり、家中汚物だらけにしてしまうときもありました。
寝たきりになってからは、父と母と私と3人で必死に介護してきました。
ときには主人も手伝ってもらいました。
主人はもともとおばあちゃん子だったので、私がとんちんかんなおばあちゃんにイライラしていると、
「おばあちゃんに優しくしてあげて」と言われて、はっとしたこともありました。
3月の東日本大震災後に、心配停止で救急車で運ばれて、もうだめかと思ったら、
びっくりするくらいの回復力で、1ヶ月で退院することが出来ました。
ゴールデンウィークには、叔母や兄弟達も顔を見に来てくれて、
「こんなに食べれるなら、まだまだ頑張れるね〜」
なんて、みんなで言っていたのに。
それから1週間で天国へ行ってしまいました。
お葬式はおばあちゃん本人が望んでいたとおり、親族だけで執り行いました。
私と妹で、お化粧してあげると今にも目を開けそうないい顔をしてました。
普段お化粧をしない人だったから、ちょっとケバくなっちゃったけど・・・
お通夜は、葬儀屋さんにそのまま宿泊できたので、兄弟達は4時までお線香を絶やさず、お酒を飲んで思い出話をしていたようです。
アルバムから古い写真をスキャンして、おばあちゃんの周りにたくさん入れてあげました。
兄弟の写真、私たちの小さかったころの写真、かわいがっていた犬の写真、出席できなかった私の結婚式の写真・・・
両親と私と妹と主人とで、手紙も書きました。
みんなのメッセージを見ると、寂しい思い出ばかりだったかと思っていたおばあちゃんの人生が、
家族の愛情に彩られて、すばらしい人生だったとわかりました。
いまや、核家族化がすすんで、高齢者をみる家族がいない、いてもみてあげられないケースが多い中、
施設に預けこともなく、家族の力と介護サービスの力で、
病院や施設ではなく、いつもおばあちゃんがいた部屋で看取ってあげられたこと、本当に感謝してます。
そして、肩の荷が下りたにもかかわらず、
まだ「おばあちゃんのオムツを替えなくちゃ、ご飯をあげなくちゃ、って思っちゃうの」
って寂しい顔をする両親を、心から尊敬します。
何より、介護は“女の仕事”と決め付けずに、母よりも頑張っていた父。
父がおばあちゃんのことに無関心だったら、きっとこうはいきませんでした。
久しぶりに見た、父の涙。
これから残された家族で頑張って生きていかなければ。
私にいつか子どもが生まれたら、その子を守ってね。
ね、おばあちゃん。
2010.12.18
おひさしぶりです。
新居のアパートになかなかネットが引けず、すっかりご無沙汰のブログでした。
9月に結婚式をしました。
とてもとても暑かった今年の9月・・・
暑い中正装して来て下さるゲストの方々が気の毒で、いつになったら暑さが和らぐのか心配しながら準備してました。
いろいろと手作りのものでもてなしたく、ひーさんと一緒にいろいろがんばりました。

100均さまさまのウェルカムボード

NPO法人ハートケア蒼い風の皆さんに作っていただいた、席辞表の表紙。
こんなにきれいなのに、牛乳パック再生紙です。
ひーさんと一緒に、スタンプ押したりマスキングテープ張ったり、一生懸命デコレーションしました。


アクトのみんなが来てくれて、とってもうれしかったです。
アクトに出会えたからこそお招きできたゲストさんたち。



暑かったけど、いいお天気でうれしかったです。
新婚旅行は、ずっとずっと行きたかった屋久島へ行ってきました。
リゾート地には、あまりに興味が無く、結局すっごくサバイバルな旅になりました。

森のパワーをたくさんいただいてきました。

小学校の教科書で見てから、ずっと会いたかった縄文杉。
とてもとても古い樹だけど、本当に神様みたいに立派でした・・・
散々山を登ってやっと会えた感動と言ったら・・・

これは、ウィルソン株。
中から空を見上げると・・・

ハート型の空が見えます。

なんと、私たちが会った次の日に、2000年の寿命を終えて倒れてしまった翁杉。
鹿児島でニュースを見て、目を疑いました。
“翁杉”という名前通り、とても歳を取っていて、中は空洞だったとか。
ニュースを見て、ちょっと切ない気持ちになったけど、きっと倒れた翁杉の上に、また小さい新しい樹がゆっくり根を下ろすんだろうな。
命は繋がっていくんですね。

ここは、白谷雲水峡というところの、太鼓岩。
山を登っていくと、突然こんな岩がひょっこり現れます。
鹿にもいっぱい会いました。
お宿にも恵まれて、優しいおとうさんとおかあさんに、本当によくしてもらい、きれいな宿で貸しきり状態。
お料理も最高においしかったです。
ひーさんも、おいしい焼酎を飲めて、満足そうでした。
本当に楽しくて、お天気にも恵まれて、ふたりにとっては本当に最高の新婚旅行でした。
お金とお休みをしっかりとっておいて、いつか子どももつれて、同じお宿を取って、また絶対行きたいなぁ。
結婚して、お料理がんばってます。
とある日のお弁当・・・
自分だけのお弁当は適当ですが、旦那さんの大きなお弁当はちっとやそっとじゃ埋まりません。
(“埋める”って表現もどうなの?)

妹からもらったホームベーカリーも大活躍です。
結婚してからパン屋さんのパンは買ってません。
焼き立てに勝るものはなし。


先日のクリスマスパーティに飾った、ステンドグラスのクッキー。
窓辺にぶら下げたクッキーを、りゅうちゃんが手を伸ばして嬉しそうに取っている姿が、なんだかとても幸せでいた。
平和で穏やかなクリスマス、しみじみと喜びを感じました。
うちの旦那さんも、すっかりアクトにお邪魔させていただいて、すみません。
いつもあたたかく迎え入れてくれる飯田クラブに、本当に感謝してます。
9月に結婚式をしました。
とてもとても暑かった今年の9月・・・
暑い中正装して来て下さるゲストの方々が気の毒で、いつになったら暑さが和らぐのか心配しながら準備してました。
いろいろと手作りのものでもてなしたく、ひーさんと一緒にいろいろがんばりました。

100均さまさまのウェルカムボード


NPO法人ハートケア蒼い風の皆さんに作っていただいた、席辞表の表紙。
こんなにきれいなのに、牛乳パック再生紙です。
ひーさんと一緒に、スタンプ押したりマスキングテープ張ったり、一生懸命デコレーションしました。


アクトのみんなが来てくれて、とってもうれしかったです。
アクトに出会えたからこそお招きできたゲストさんたち。



暑かったけど、いいお天気でうれしかったです。
新婚旅行は、ずっとずっと行きたかった屋久島へ行ってきました。
リゾート地には、あまりに興味が無く、結局すっごくサバイバルな旅になりました。

森のパワーをたくさんいただいてきました。

小学校の教科書で見てから、ずっと会いたかった縄文杉。
とてもとても古い樹だけど、本当に神様みたいに立派でした・・・
散々山を登ってやっと会えた感動と言ったら・・・

これは、ウィルソン株。
中から空を見上げると・・・

ハート型の空が見えます。

なんと、私たちが会った次の日に、2000年の寿命を終えて倒れてしまった翁杉。
鹿児島でニュースを見て、目を疑いました。
“翁杉”という名前通り、とても歳を取っていて、中は空洞だったとか。
ニュースを見て、ちょっと切ない気持ちになったけど、きっと倒れた翁杉の上に、また小さい新しい樹がゆっくり根を下ろすんだろうな。
命は繋がっていくんですね。

ここは、白谷雲水峡というところの、太鼓岩。
山を登っていくと、突然こんな岩がひょっこり現れます。
鹿にもいっぱい会いました。
お宿にも恵まれて、優しいおとうさんとおかあさんに、本当によくしてもらい、きれいな宿で貸しきり状態。
お料理も最高においしかったです。
ひーさんも、おいしい焼酎を飲めて、満足そうでした。
本当に楽しくて、お天気にも恵まれて、ふたりにとっては本当に最高の新婚旅行でした。
お金とお休みをしっかりとっておいて、いつか子どももつれて、同じお宿を取って、また絶対行きたいなぁ。
結婚して、お料理がんばってます。
とある日のお弁当・・・
自分だけのお弁当は適当ですが、旦那さんの大きなお弁当はちっとやそっとじゃ埋まりません。
(“埋める”って表現もどうなの?)

妹からもらったホームベーカリーも大活躍です。
結婚してからパン屋さんのパンは買ってません。
焼き立てに勝るものはなし。


先日のクリスマスパーティに飾った、ステンドグラスのクッキー。
窓辺にぶら下げたクッキーを、りゅうちゃんが手を伸ばして嬉しそうに取っている姿が、なんだかとても幸せでいた。
平和で穏やかなクリスマス、しみじみと喜びを感じました。
うちの旦那さんも、すっかりアクトにお邪魔させていただいて、すみません。
いつもあたたかく迎え入れてくれる飯田クラブに、本当に感謝してます。
2010.06.15
おひさしぶりの・・・
1年近く、ほったらかしだったブログです。
いつものナマケぐせが・・・
来期はもうちょっと更新がんばりたいなぁ〜
その前に、新居にネットを引かないと・・・
年次大会が終わって、1年って早いなぁと思う今日この頃。
私にとって、4回目の年次大会でした。
きっと、思うところはみんなそれぞれあっただろうけど、
飯田クラブのみんなと一緒に参加できたこと、とても嬉しかったです。
初めての1日開催でしたが、正直ちょっと寂しく感じたところはありました。
ハッピーなことばかりを綴りたいココに、イロイロ書くつもりはないけど、
私は、飯田の会長幹事が、最後の最後まで手を挙げなかったこと、誇りに思ってます。
いつも、年次大会で号泣した後は、
「あ〜アクトっていいな
またがんばろう!」
って気持ちになるんですが、今年はちょっと違いました。
結婚することになって、正直色々と不安で、
「あぁ、私もいつかはアクトを辞めちゃう日が来るのかなぁ・・・」
なんて、寂しいことをぼんやり考えたこともありました。
でも、年次大会が終わった今、
「辞めたくない!!」と思うのでした。
アクトは、大変なことも、面白くないことも、つらいこともたくさん。
でも、やっぱりアクトに出会えた人生と、出会えなかった人生、
たぶん、2倍くらい笑顔や感動が違ったんじゃないかと思います。
飯田クラブのみんなには、うちのだんな様まで迎え入れていただいて嬉しい限り。
伊那小沢駅の主人の笑顔といったら
おかげで主人は、飯田クラブのみんなの名前が言えます。
アクトを続けていくには、主人の協力も欠かせないので、
ちょくちょく例会や飲み会に連れて行くのは、アクトを続けるための私なりの教育でもあったりして。
だから皆さん、今後とも夫婦ともども宜しくお願いいたします〜


いつものナマケぐせが・・・
来期はもうちょっと更新がんばりたいなぁ〜
その前に、新居にネットを引かないと・・・
年次大会が終わって、1年って早いなぁと思う今日この頃。
私にとって、4回目の年次大会でした。
きっと、思うところはみんなそれぞれあっただろうけど、
飯田クラブのみんなと一緒に参加できたこと、とても嬉しかったです。
初めての1日開催でしたが、正直ちょっと寂しく感じたところはありました。
ハッピーなことばかりを綴りたいココに、イロイロ書くつもりはないけど、
私は、飯田の会長幹事が、最後の最後まで手を挙げなかったこと、誇りに思ってます。
いつも、年次大会で号泣した後は、
「あ〜アクトっていいな
またがんばろう!」って気持ちになるんですが、今年はちょっと違いました。
結婚することになって、正直色々と不安で、
「あぁ、私もいつかはアクトを辞めちゃう日が来るのかなぁ・・・」
なんて、寂しいことをぼんやり考えたこともありました。
でも、年次大会が終わった今、
「辞めたくない!!」と思うのでした。
アクトは、大変なことも、面白くないことも、つらいこともたくさん。
でも、やっぱりアクトに出会えた人生と、出会えなかった人生、
たぶん、2倍くらい笑顔や感動が違ったんじゃないかと思います。
飯田クラブのみんなには、うちのだんな様まで迎え入れていただいて嬉しい限り。
伊那小沢駅の主人の笑顔といったら

おかげで主人は、飯田クラブのみんなの名前が言えます。
アクトを続けていくには、主人の協力も欠かせないので、
ちょくちょく例会や飲み会に連れて行くのは、アクトを続けるための私なりの教育でもあったりして。
だから皆さん、今後とも夫婦ともども宜しくお願いいたします〜


2009.08.30
夏の思い出
おさぼり気味のブログでした。
こんなめちゃくちゃなブログでも、見てくれている人がいてくれて、嬉しいです。
今年は職場の人に、上手に桃を切るコツを教わって、いっぱい桃を切りました。
種がキレイにとれて、形良く揃ってお皿に盛れて、大好きな桃も、それだけでもっとおいしく感じました。
患者さんのお宅でも、梨も初物のりんごまでいただきました
果物好きの食いしん坊には、嬉しい季節です。
アクト、8月は仕事が忙しくて、なかなか活動に出られなくて残念だったけど、
今日のキンボール大会、今月唯一参加できた行事だったので、なおさら楽しかったです。
いっぱいの一般参加者の人の笑顔も、心に残りました。
忙しい中、準備をしてきてくれたみんなに、本当に頭が下がりました。
ありがとう!
雨ばかり続いて短く感じた夏でしたが、いい思い出は出来ましたか?
お盆も、ずっとお仕事だったんですが、私も私なりにいろいろ時間を作って遊べました。
道の駅めぐりをして、あまごのつかみ取りをしてきました。
根羽の道の駅で、どこか都会から来た子どもたちがやっているのを、しばらく眺めてたら・・・
我慢できなくなり、10匹コースにトライ!
小さい子どももいないのに、大人だけでキャッキャ言って魚を追ってるのは、私たちだけでした。
しかもジモティ。
水は冷たかったけど、きれいな魚に触れて楽しかった〜
このつかみ取り、おじさんひとりでやっていたんで、私たちが終わった頃にちょうど混雑が始まり・・・
おじさんてんてこ舞い!
地元の人が困ってるのをほっとけなくなり、
炭を仰いだり、サービスのとうもろこしを焼いたり、お客さんを呼びに行ったり・・・しっかり働いてきました。
炭で焼いたあまごの塩焼きは、頭や骨までぱりぱりで、本当においしかったです。

名古屋から、田舎のおばあちゃんちに遊びに来ていた坊やとも仲良くなり、一緒にお魚を取りました。
自分で捕まえた魚を、満足そうにほおばっていました。
素敵な長野の思い出を持って帰ってくれたら嬉しいな。
15日は、仕事の後、中学の同級会でした。20人くらい集まりました。
卒業から10周年ということで、友達が企画してくれました。
ちょくちょく遊んでいる人もいれば、10年ぶりに会う人も。
大好きなクラスだったし、大好きな担任の先生にも会えて、嬉しかったです。
先生とは、社会人になってからも何度かみんなと一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり出来て、まだまだ生徒気分です。
先生は、当時からちょっと薄毛で、クラスみんなで先生の毛量を心配して、肩に落ちている抜け毛を、
「先生大変!戻してあげるね!」 なんて、頭にくっつけてリサイクルしてあげたり・・・
給食のひじきをてんこ盛りの大サービスにしてあげたり・・・
先生も先生で、「みんな先生のために・・・」なんて喜んで食べてくれる人柄でした。
とても愛されていました。
先生の髪の量は10年経ってもそのままだったので、ひじきに効果があったことを実感しました。
その当時の私の中学校は、ずいぶん荒れていたので、きっと分からないところで苦労されたんだろうと思います。
「先生、私たちを受け持っているときは、大変だった?」
と聞いてみたけど、「いや、みんなはいいクラスでした。」と言ってくれました。
金八先生みたいに上手なお説教をするわけでもなく、
ROOKIESの川藤先生みたいに熱血教師な訳でもないけど、
国語の先生だからか、とても品のある話し方をされる先生で、本当に親しみのある存在でした。
いじめも登校拒否も無く、みんなが自分のクラスが一番好きだったのは、この先生のおかげです。
男女の仲も良かったので、集まった全員とおしゃべりが出来ました。
・・・私の脳は、妙なメモリーに容量を使っているなぁと思います。
たぶん、楽しかった記憶や、ちょっと感動した記憶は、日記にも書かないような小さなエピソードでも、
何年も大事に大事に取っておく仕組みになっているようです。
中学のときのくだらない記憶はかなりあって、みんなに話してあげました。先生のひじきのエピソードもそう。
つまり、楽しい中学校生活だったと言うことです。
3年間、クラス替えも一度も無く、ずっと一緒にいられた仲間。また集まれるなんて、幸せなことでした。
お盆の最終日は、ほとけさまを送った後、ひまわり畑へドライブ。
(よっしーさん、教えてくれてありがとう!)
イメージしたより、もっと広くて、ちょうど満開のときに行けました。

元気なみつばちやくまばちが飛び回っていました。

ひまわりの鮮やかな黄色は、心を明るくするなぁと思いました。
太陽の神様アポロンに恋をして捨てらたクリチェが、太陽を見て泣いているうちに、死んでしまって、ひまわりになりました・・・
というギリシャ神話を思い出しました。
みんな揃って東を向いていて、なんて一途で素直で可愛い花だろうと思いました。

こんなにかわいい花に見つめられたら、お日様だってテレちゃいそう。
大宮の夏祭りに、自分で浴衣を着付けて行ってみたり、
お友達と3人で岐阜の温泉に行って見たり。
なかなかいい夏だったなぁと思います。
こんなめちゃくちゃなブログでも、見てくれている人がいてくれて、嬉しいです。
今年は職場の人に、上手に桃を切るコツを教わって、いっぱい桃を切りました。
種がキレイにとれて、形良く揃ってお皿に盛れて、大好きな桃も、それだけでもっとおいしく感じました。
患者さんのお宅でも、梨も初物のりんごまでいただきました

果物好きの食いしん坊には、嬉しい季節です。
アクト、8月は仕事が忙しくて、なかなか活動に出られなくて残念だったけど、
今日のキンボール大会、今月唯一参加できた行事だったので、なおさら楽しかったです。
いっぱいの一般参加者の人の笑顔も、心に残りました。
忙しい中、準備をしてきてくれたみんなに、本当に頭が下がりました。
ありがとう!
雨ばかり続いて短く感じた夏でしたが、いい思い出は出来ましたか?
お盆も、ずっとお仕事だったんですが、私も私なりにいろいろ時間を作って遊べました。
道の駅めぐりをして、あまごのつかみ取りをしてきました。
根羽の道の駅で、どこか都会から来た子どもたちがやっているのを、しばらく眺めてたら・・・
我慢できなくなり、10匹コースにトライ!
小さい子どももいないのに、大人だけでキャッキャ言って魚を追ってるのは、私たちだけでした。
しかもジモティ。
水は冷たかったけど、きれいな魚に触れて楽しかった〜

このつかみ取り、おじさんひとりでやっていたんで、私たちが終わった頃にちょうど混雑が始まり・・・
おじさんてんてこ舞い!
地元の人が困ってるのをほっとけなくなり、
炭を仰いだり、サービスのとうもろこしを焼いたり、お客さんを呼びに行ったり・・・しっかり働いてきました。
炭で焼いたあまごの塩焼きは、頭や骨までぱりぱりで、本当においしかったです。

名古屋から、田舎のおばあちゃんちに遊びに来ていた坊やとも仲良くなり、一緒にお魚を取りました。
自分で捕まえた魚を、満足そうにほおばっていました。
素敵な長野の思い出を持って帰ってくれたら嬉しいな。
15日は、仕事の後、中学の同級会でした。20人くらい集まりました。
卒業から10周年ということで、友達が企画してくれました。
ちょくちょく遊んでいる人もいれば、10年ぶりに会う人も。
大好きなクラスだったし、大好きな担任の先生にも会えて、嬉しかったです。
先生とは、社会人になってからも何度かみんなと一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり出来て、まだまだ生徒気分です。
先生は、当時からちょっと薄毛で、クラスみんなで先生の毛量を心配して、肩に落ちている抜け毛を、
「先生大変!戻してあげるね!」 なんて、頭にくっつけてリサイクルしてあげたり・・・
給食のひじきをてんこ盛りの大サービスにしてあげたり・・・
先生も先生で、「みんな先生のために・・・」なんて喜んで食べてくれる人柄でした。
とても愛されていました。
先生の髪の量は10年経ってもそのままだったので、ひじきに効果があったことを実感しました。
その当時の私の中学校は、ずいぶん荒れていたので、きっと分からないところで苦労されたんだろうと思います。
「先生、私たちを受け持っているときは、大変だった?」
と聞いてみたけど、「いや、みんなはいいクラスでした。」と言ってくれました。
金八先生みたいに上手なお説教をするわけでもなく、
ROOKIESの川藤先生みたいに熱血教師な訳でもないけど、
国語の先生だからか、とても品のある話し方をされる先生で、本当に親しみのある存在でした。
いじめも登校拒否も無く、みんなが自分のクラスが一番好きだったのは、この先生のおかげです。
男女の仲も良かったので、集まった全員とおしゃべりが出来ました。
・・・私の脳は、妙なメモリーに容量を使っているなぁと思います。
たぶん、楽しかった記憶や、ちょっと感動した記憶は、日記にも書かないような小さなエピソードでも、
何年も大事に大事に取っておく仕組みになっているようです。
中学のときのくだらない記憶はかなりあって、みんなに話してあげました。先生のひじきのエピソードもそう。
つまり、楽しい中学校生活だったと言うことです。
3年間、クラス替えも一度も無く、ずっと一緒にいられた仲間。また集まれるなんて、幸せなことでした。
お盆の最終日は、ほとけさまを送った後、ひまわり畑へドライブ。
(よっしーさん、教えてくれてありがとう!)
イメージしたより、もっと広くて、ちょうど満開のときに行けました。

元気なみつばちやくまばちが飛び回っていました。

ひまわりの鮮やかな黄色は、心を明るくするなぁと思いました。
太陽の神様アポロンに恋をして捨てらたクリチェが、太陽を見て泣いているうちに、死んでしまって、ひまわりになりました・・・
というギリシャ神話を思い出しました。
みんな揃って東を向いていて、なんて一途で素直で可愛い花だろうと思いました。

こんなにかわいい花に見つめられたら、お日様だってテレちゃいそう。
大宮の夏祭りに、自分で浴衣を着付けて行ってみたり、
お友達と3人で岐阜の温泉に行って見たり。
なかなかいい夏だったなぁと思います。
2009.07.25
贅沢なお休み
海の日に、家族で化石燃料ゼロのエコハウスを借りてバーベキューしてきました。
エコハウスは、電気は風力発電と太陽光発電、
ガスや石油も使わず全部薪で火をおこす、
トイレなどの水は雨水を浄化して再利用!
化石燃料ゼロ、徹底してます。
去年飯田のNPOが作ったばかりのぴっかぴかの素敵な施設。

眺めのいいウッドデッキへテーブルを並べて、のんびり野菜を切りながら飯田の街を見下ろせます。とても贅沢な時間。
(後姿はギターを弾く父・・・働いてください)
そして、かまどで炊くごはん !
飯盒炊爨はあっても、かまどとお釜を使って炊くのは初体験。すっごく楽しみでした。
小学校の頃習った感覚で、お米を研いで、手首のところまでお水を入れて・・・
はじめちょろちょろ中ぱっぱ・・・なんて思い出して。
バーベキューの炭を熾すのとはちょっと勝手が違うかな・・・と思いつつ、
あっという間に火がついて、 昭和のお母さんになった気分で嬉しかったです。
原始人・父に育てられた所以です。

かまどで炊けたごはんは、ただの塩結びだけど、びっくりするほどおいしかった。
ほんのり薪の香ばしい風味が移って、おこげもサクサクでした。
最近東京で、かまどで炊いたごはんをメインに出すレストランがあるとTVで観たけど、解る気がします。
冬場は囲炉裏と、薪ストーブのオーブンもある。
クリスマスパーティなんてやったら、楽しそう!
きれいな景色を見ながら、飯田産のお肉と野菜をいっぱい食べて、
私が作っていった大葉入り鶏つくねも、いっぱい作ったのにえらく人気でした。
みんなで食べたごはんは、どこの高級レストランのフルコースよりおいしい!と言えます。

エコハウスにはぴかぴかの檜風呂もついてて、管理人さんが自慢していた、ドイツ製のウッドボイラーでお風呂炊き。
でっかい丸太棒ひとつで、ちゃんと燃やしてくれて、全員が入るまで、暖かくて柔らかいお湯をくれました。
夜景を見ながら入る檜風呂は、最高に贅沢でした。
まだ炊飯器も冷蔵庫もエアコンも湯沸かし器もなかった時代。
みんな優れた知恵を持って、賢かったんだろうなと思う・・・
木を燃やすことに、多少抵抗はあったけど、
実際に使ってみると、よく乾いたほんのちょっとの木でみんなのごはんが出来るし、お風呂も炊ける。
だから昔の人は、木を大切にしてたんだろうなと思う。
お父さんが薪を割って、
お母さんがかまどに火をくべて、
小さい子どもが周りでちょろちょろそれを手伝う光景が当たり前にあって、
きっとみんなおいしいおいしいって塩結びを食べてたんだと思う。
とても幸せな時代だったんだろうな・・・
今は、スイッチひとつでいつでもあったかごはんが炊けるし、
わざわざ自分で炊かなくても、お金を出せばコンビニに行けばおにぎりが手に入るし、
レストランに行けば、どこの世界の料理も食べられる時代。
豊かだけど・・・幸せなのかなぁ?
へんてこりんなサイクルだけど、知恵をなくしていった結果ということかも・・・
なんとなく、切なくて、申し訳ない気持ちになりました。
誰に対して申し訳ないのかは、よくわからないけど、
これから生まれてくる子ども達に、かな・・・
エコハウスの利用者の書いてあるホワイトボードには、私の名前の後に県知事の名前がありました。
ぜひともかまどで炊いたご飯を食べて、県政に生かしてもらいたいもの。
いっぱいの人が、あの塩結びの味を知れるといいなと思う。

風車が回ってるのを見て、いつか子どもが出来たら、ここでかまどでごはんを炊かせようと思いました。
エコハウスは、電気は風力発電と太陽光発電、
ガスや石油も使わず全部薪で火をおこす、
トイレなどの水は雨水を浄化して再利用!
化石燃料ゼロ、徹底してます。
去年飯田のNPOが作ったばかりのぴっかぴかの素敵な施設。

眺めのいいウッドデッキへテーブルを並べて、のんびり野菜を切りながら飯田の街を見下ろせます。とても贅沢な時間。
(後姿はギターを弾く父・・・働いてください)
そして、かまどで炊くごはん !
飯盒炊爨はあっても、かまどとお釜を使って炊くのは初体験。すっごく楽しみでした。
小学校の頃習った感覚で、お米を研いで、手首のところまでお水を入れて・・・
はじめちょろちょろ中ぱっぱ・・・なんて思い出して。
バーベキューの炭を熾すのとはちょっと勝手が違うかな・・・と思いつつ、
あっという間に火がついて、 昭和のお母さんになった気分で嬉しかったです。
原始人・父に育てられた所以です。

かまどで炊けたごはんは、ただの塩結びだけど、びっくりするほどおいしかった。
ほんのり薪の香ばしい風味が移って、おこげもサクサクでした。
最近東京で、かまどで炊いたごはんをメインに出すレストランがあるとTVで観たけど、解る気がします。
冬場は囲炉裏と、薪ストーブのオーブンもある。
クリスマスパーティなんてやったら、楽しそう!
きれいな景色を見ながら、飯田産のお肉と野菜をいっぱい食べて、
私が作っていった大葉入り鶏つくねも、いっぱい作ったのにえらく人気でした。
みんなで食べたごはんは、どこの高級レストランのフルコースよりおいしい!と言えます。

エコハウスにはぴかぴかの檜風呂もついてて、管理人さんが自慢していた、ドイツ製のウッドボイラーでお風呂炊き。
でっかい丸太棒ひとつで、ちゃんと燃やしてくれて、全員が入るまで、暖かくて柔らかいお湯をくれました。
夜景を見ながら入る檜風呂は、最高に贅沢でした。
まだ炊飯器も冷蔵庫もエアコンも湯沸かし器もなかった時代。
みんな優れた知恵を持って、賢かったんだろうなと思う・・・
木を燃やすことに、多少抵抗はあったけど、
実際に使ってみると、よく乾いたほんのちょっとの木でみんなのごはんが出来るし、お風呂も炊ける。
だから昔の人は、木を大切にしてたんだろうなと思う。
お父さんが薪を割って、
お母さんがかまどに火をくべて、
小さい子どもが周りでちょろちょろそれを手伝う光景が当たり前にあって、
きっとみんなおいしいおいしいって塩結びを食べてたんだと思う。
とても幸せな時代だったんだろうな・・・
今は、スイッチひとつでいつでもあったかごはんが炊けるし、
わざわざ自分で炊かなくても、お金を出せばコンビニに行けばおにぎりが手に入るし、
レストランに行けば、どこの世界の料理も食べられる時代。
豊かだけど・・・幸せなのかなぁ?
へんてこりんなサイクルだけど、知恵をなくしていった結果ということかも・・・
なんとなく、切なくて、申し訳ない気持ちになりました。
誰に対して申し訳ないのかは、よくわからないけど、
これから生まれてくる子ども達に、かな・・・
エコハウスの利用者の書いてあるホワイトボードには、私の名前の後に県知事の名前がありました。
ぜひともかまどで炊いたご飯を食べて、県政に生かしてもらいたいもの。
いっぱいの人が、あの塩結びの味を知れるといいなと思う。

風車が回ってるのを見て、いつか子どもが出来たら、ここでかまどでごはんを炊かせようと思いました。




